初心者の方へ

  1. ホーム
  2. 初心者の方へ
  3. ウクレレとの出会い

ウクレレとの出会い

ふとしたきっかけでウクレレと出会い
「人生が変わった」
「毎日を心豊かに過ごしている」
──そんなお声をご紹介します。

Famous60周年記念「Famousのある風景〜エッセイ&Photo〜」入賞作品より

1等 広瀬哲三様

1978年の夏、当時、中1の少年だった私は、韓国を訪問しました。
それは、在日韓国人2世の私にとって、思い出深い初めての祖国訪問でした。
私と母は、船で下関から釜山へ渡り、更に、バスで移動して麗水という港町の叔父宅に泊まりました。 すると、初日の晩に、同年代の親戚の子が、近所を案内しながら、満天の星空のなかでウクレレを弾いてくれたのです。波の音をバックに、ポロンというクラシカルなメロディーが、当時、少年だった私の胸に鳴り響きました。サウンドホールをのぞくと、「Famous」と書かれた文字がとても印象的でした。 大人になった今、ソロ演奏を聴いて感動して以来、毎日のようにスクールで習った曲を練習していますが、Famousに触れるたびに、あの少年の頃の感動がまざまざと蘇るのです。 丹念に作られたこの小さな楽器には、日本人の繊細な技術を駆使した職人さん達の魂が込められています。Famousは、今も昔も、日本をはじめ世界中を飛び回り、誰かがどこかで素敵なメロディーを奏でています。これからも、今まで培った技術と伝統を大切にしながら、世界中の人々に夢と希望と感動を届けてほしいと思います。


photo_01_01

photo_01_02

受賞のコメント

この度は、「Famous のある風景」エッセイ& PHOTO コンテストに於いて、栄えある最高の評価を頂きましてとても光栄に思います。
エッセイで語りました通り、Famousには、少年の頃に海を乗り越えて偶然、出逢ったという特別な思い入れがあります。
なお、再び、日本でこの楽器に出逢い、ウクレレスクールで、敬愛する師匠のもとで演奏技術を学ぶことは、この上ない喜びを感じる次第であります。日本の職人魂がこもった Famous は、後生、大切にして参りたいと思います。

近年、小さなボディーに4本の弦を乗せるとても、シンプルなこの楽器は、職人さんの研究により、みるみると進化を遂げております。
ハワイアンやクラシックをはじめ、ジャズやタンゴ、ロック、ボサノヴァと、全てのジャンルのメロディーをカバー出来るようにするためには、細部に亘り、様々な工夫が凝らされています。 老若男女が、手軽に安く手に入れて、海や山でも気軽に正確な音程でメロディーを弾けるようにするには、職人さん方の絶え間ない努力と試行錯誤が続けられた事でしょう。
そして、楽器を製作して販売するにあたり、この長い歳月の間には、職人さん方と販売店で、幾多の苦労を乗り越えて来られたと思います。
その成果として、この職人魂が込められた「メイド イン ジャパン」 の小さな楽器は海を渡り、世界中の人々の心に、美しいメロディーを大きく鳴り響かせて、夢と希望を与え続けています。
今後も更なる進化を遂げて、その名の通り、もっともっと有名になることを切に願っております。

今後は、スクールの森拓治先生の指導のもと、演奏技術を切磋琢磨させて、数珠のメロディーをあちこちで花のように咲かせながら、Famous とともに歳月を重ねて参りたいと思います。
最後に、KIWAYAの皆様及び、60周年モデルを丹念に製作された職人さん方に、重ねて衷心より感謝を申し上げます。
貴社の益々のご発展と皆様方のご健康、ご多幸を心より祈念しながら結びの言葉とかえさせて頂きます。 (広瀬 哲三)

2等 原朱夏様

夫「ウクレレ届いたよ」
私「やった!持ってきて♪」
夫「ダメでしょ…」

それは次女が産まれた翌日の病室での会話。
10年フラを踊ってきたけど、ウクレレを初めて触ったのは次女誕生の一ヶ月前。
ウクレレが鳴る中で次女はよく眠り、踊るようによく動いた。
子育てはウクレレのリズムのって、ソロ弾きで幸せを味わい、イライラはタヒチアンビートを熱くさせた。

そして今日は、ウクレレピクニック。生徒さんと子供を集めて、横浜ではなく八ヶ岳の森で弾いて踊る。
3年目の今年、ウクレレを弾きながらおんぶしてるのは三女。
次女はフラを踊ってる。
長女はいよいよウクレレ係。

あの地震の5日後に次女が産まれてから、私はフェイマスに出会い、子連れフラのインストラクターになり、人生が変わった。
だから、ウクレレは魔法の楽器だと信じてる。

photo_02_01

photo_02_02

受賞のコメント

目の前にずっと憧れたコアの美しいウクレレがある。
買いに行った時は会えなかったのに、ウクレレってやっぱり不思議な楽器だなと、夏の日を思い出しました。 去年の夏、購入時にもらって3年間大切にしまってあった無料体験チケットをにぎりしめて、私は初めてキワヤ商会のレッスンルームに向かいました。 おんぶでレッスンを受けて、二本目のウクレレを買って帰ろう!やっぱりコアがいいかな〜♪という上京プチ旅行。 ところがその日はウクレレピクニックでお店はお休みでした。代わりに手にしたのは『フェイマスのある風景エッセイ&フォトコンテスト』のチラシ。

ワクワクしながら帰りの特急に乗ると、思い出があふれてきて、私は車中でチラシの裏にエッセイを書き始めたのでした。 初めて手にしたフェイマスFS−1が我が家をハワイにしてくれた事、ウクレレがご縁で出会ったお友達や、長野の森でウクレレ伴奏でフラを踊った仲間たちの顔が次々に浮かんで、感謝があふれてきました。 ハワイにも横浜のウクレレピクニックにも行かれないけれど、私のまわりはとても豊かです。エッセイコンテストに参加したことで、自分の幸せを知る機会になりました。
エッセイは制限文字ぎりぎりに削ったけれど、思いがあふれ出る拙い物でしたが2等をいただいて、ありがたいです。

ウクレレの音色は、楽な事ばかりじゃない日常の中にふと力が抜ける癒しをくれて、人をつないで、夢をかなえてくれる。
ウクレレはやっぱり魔法の楽器でした。 ありがとうございました。(原朱夏)

3等:花村美歩様

私がFamousと出会ったのは1990年、大学生の時でした。ある映画にウクレレが出てきたのを見て、「これだ!」と思い、お茶の水の楽器店でFU-120を購入。 教本を見て、好きな歌を弾き語りして楽しみ始めました。 それからウクレレは、なんとなくいつもそばにあって、旅のお供にロサンゼルスまで連れて行ったこともあります。 ちゃんとウクレレを学び始めたのは2003年。
教室に通い始め、翌年にはウクレレで曲を作ってステージに立つようになりました。
そして10年後の2013年、大きな転機が来ました。第7回ジ・ウクレレコンテストで、期せずして大賞をいただいたのです。 そのおかげで、ハワイでのコンテストにも出場でき、そこでMVPを受賞するに至りました。
23年前に、FU-120と出会った時には、まったく予想もしなかったことです。 ウクレレが好きで、ずっと続けていると、こんな幸運がやってくることもあります。 皆さんも、思い立ったら、ぜひウクレレを始めてみてください!

写真のご紹介
1990年に私が初めて買ったウクレレFamous FU-120です。茶色い樹脂製のケースがついていて、小さいエレキギターのギグバッグのような、かわいいルックスでした。24年経った今でも演奏できますし、むしろ昔より良い音色になっている気がします。 この子と出会わなければ今の私はなかったと、しみじみ思います。

photo_09_01

3等:松尾 小絵様

マッチ箱のような登山電車に揺られて、麓のじぃじ先生のウクレレ教室に通い始めたのは今から2年前。 ちょうど私と夫が山の中にある家に移り住んだころの事でした。
もともとは老画家のアトリエだったところです。
必要な物しか置けない小さな空間でした。
私たちは生活を縮小し、持ち物を半分にしました。

森の中の静かな生活が始まりました。
ある日、私はここに音楽があったらもっと楽しいなと考えました。
ギター?バイオリン…?いえいえウクレレ!ここにぴったり!
さっそく初心者にも人気のあるFamousのFS−5Gを買い求めました。
山の中で昼夜を問わずポロンと弾ける幸せな時間。
じぃじ先生にも教わりながらのあっという間の2年間。
今ではテナー・ウクレレを愛用しているけれど、FS-5Gは夫がコロンコロンといい音を響かせています。
きっと合奏はもっと楽しいに違いありません。

photo_08_01

3等:田村 努様

ある週末、友人の別荘へ行くことになり、旅のお供にウクレレをと思い楽器街へ向かう。
初心者だし安物で十分だと見て回ったが、どれも”ペリンポリン”と軽い音…
そして、坂を下った最後の店で赤茶色の可愛らしいウクレレに一目惚れ!
店員さんに初心者だと伝えるとそのウクレレを弾いてくれた。
「よく鳴ってますよコレ、日本のメーカーでお勧めですよ〜」
セールストークだろうと聞き流したが、色々なウクレレを弾いてくれて嘘でないことが分かった。 ウクレレを手渡され弦を弾くと安物と違いボディが共鳴して心地よい音が響く。(感動!) 木目の綺麗さと音色にやられ、赤茶色の彼女を連れて帰ることにした。!
翌週、別荘で合流した友人もなんとウクレレを持ってきたのだが、それは例の”ペリンポリンウクレレ”…! 彼女との違いに気が付いたのか後日ウクレレを買いなおしたそうだ。!
あれから20年、今でも彼女はその音色で私を癒してくれる。!
これからもよろしく頼むよ。!
彼女:Famous FU-150 (ブビンガ材)

photo_11_01

3等:亀井 望様

「思い出の島のウクレレ」
初夏のある日、キャンプ場に勤務する私に、世界キャンプミーティングの案内が届いた。
瀬戸内海の小豆島にある海洋センターで開かれる!
そこは、小学校の時、生まれて初めてウクレレの調べを聴いた、思い出のキャンプ場だった。
私は、30年ぶりに島を訪れ、2泊3日のキャンプを楽しんだ。

最終夜のキャンプファイアーでは童心に帰り、各国のゲームソングで唄い踊る。
ファイアーの終わりに、ウクレレの伴奏でイスラエルの民謡「シャローム」を歌う。 皆で「LOVE&PEACE」を誓い、ファイアーは無事に幕を閉じた。 翌朝、海洋センターを退所する道すがら、何気なく路傍のヨットハウスを見ると、夢想差に置かれたフェイマスウクレレが「おかえり!」と微笑んでいた。

私は日焼けしたそのウクレレが子どもの頃に聴いたウクレレだと確信した。
「フェイマスのウクレレが教えてくれたこと、決して忘れないよ。」
私は、晩夏の日差しで輝く海に誓い島を去った。

3等:浦 嘉訓様

休日の昼下がり、お気に入りのウクレレたちを庭に持ち出し。
ポロン ポロンと 弾いてみる。ウクレレの軽やかな響き。
静かな時間が流れるひととき。愛犬のレトリバーもおすわりして聞いてくれる。
おまえもわかってくれるのか?
けっして上手ではないけれど、ご主人は、気持ちよく弾いているよ。ポロンポロンと。

仕事の帰りにふと立ち寄った駅前の楽器店。
高校生の頃「F」が押さえられなくて挫折したギター。
「弦が4本のベースギターならなんとかなるんじゃないの?」とベース担当でバンドを組んだ。
レパートリーは4曲の学園祭バンド。ヘタでも、ちょっとは「音楽」の楽しさを知ってしまった。
もうあれから30年。ふと手に取ったウクレレ。
「弦が4本のウクレレならなんとかなるんじゃないの?」
初めは呆れ顔だった家族も、ウクレレをポロンと奏でると、思わず笑顔になってしまう。
そんなに上手く弾けなくてもいいんだよね。
ウクレレに癒される、休日の昼下がり。
(写真は愛犬とFamous FS-5G、Famous FGC-3、Famous FGS-3)

photo_08_01

3等:塚原菜美様

私のウクレレとの出会いは、インターネットでウクレレの演奏動画を見つけたことがきっかけです。 楽器自体は知っていましたが、ハワイの楽器?というぼんやりとしたイメージしかありませんでした。 その動画では、アニメソングをソロ演奏していて「こんな曲も弾けるんだ!」と衝撃を受け、時間を忘れて何回も繰り返し聴いていました。
それから色々な方の演奏を見るようになり、小さな楽器にも関わらず表現力があるウクレレの魅力に惹かれ、FamousのソプラノウクレレFS-5Gを購入しました。
購入後、積極的に色々なイベントやWSに参加し、みんなで一緒に演奏する楽しさを知り、どんどんウクレレが好きになっています。ウクレレを弾くだけでその場が明るい雰囲気になり、みんなで歌って楽しめるので、今では旅行の時などいつも持ち歩いています。
素敵な仲間との楽しい時間に出会わせてくれたウクレレ、この魅力を伝えられるよう今後も練習に励みたいと思います

写真は、いつもウクレレの練習に行っている近所の公園で撮影しました。 紅葉がとてもキレイだったので、ウクレレと一緒にパシャリ。 ウクレレの色と紅葉のオレンジ色が、とてもマッチしている1枚だと思います。 夏のイメージが強いウクレレですが、秋も冬も季節を問わず1年を通して演奏したいという気持ちを込めて、この写真を選びました。

photo_02_01

3等:高原弘子様

昨年(2014年)頼りにしていた夫を見送った後、ネットで入門セットを注文。
それがフェイマスとの出会い。 ポローンと音を聞いた瞬間、鳥肌が立つほどの感動。
生の音の優しさ、電子音でない自然の音の響き。 テーブルの上にウクレレを置き、いつでも練習出来る気軽さ。素敵な先生と仲間がいればこその練習への意欲。

おしゃれなビートルズの曲のアレンジを一緒に弾き終わって、一斉に湧き上がる歓声、至福の一時。 偶々読んでいた今年国際アンデルセン賞を受賞した上橋奈緒子著「獣の奏者」の中にこんな一文があった。
「音の連なり、弦の調べが心を震わせる。どんな生き物、全て音の中に消え去り、聞いているものがみな同じ音に心を震わせる。その瞬間俺は光を見るんだ。」と小さな竪琴を持ち、人、動物の心をいやす役をこなすロラン楽士。 全く同感。
壮大な物語の中に遠い昔から弦の響きは心に響く大切な存在だったと。

photo_02_01

3等:法月敏彦様

命の恩人=ウクレレ
2005年3月25日という日を忘れることは決してありません。
あの日、何故なのか全くわかりませんが急に、弾ける筈もないウクレレが欲しくなり、ネットでお店を調べて、まずは自宅から一番遠い浅草のキワヤさんに行きました。応対してくれた女性が「あなたにはこのウクレレです」とコンサートウクレレを勧めてくれました。
そして「ちょっと待ってください」といってハードケースを持ってきてくれました。
「やっぱり、ぴったりだ。このケースはサービスです」
こうして私のウクレレ人生はいとも簡単に始まったのです。
(後に、あの時の女性が原京子社長だと知りました)

2005年6月、突然、人生の歯車が狂い出しました。
家内が白血病になってしまったのです。以後、入院、手術、看病、介護、義母と母の永眠、そして2012年9月28日家内の永眠に至る7年3ヶ月間、さらに現在に至るまで、8つの病気を抱えて身も心もボロボロになった私を優しく力強く支えてくれたのは、ウクレレでした。
そして、ウクレレを通じて得られた友達でした。
もしもウクレレとの出会いがなかったとしたら、私は今、この世にいないかもしれません。
ありがとう、ウクレレ!

photo_02_01

貴方からのお便りお待ちしております。

《応募要項》

●電子メールでお送りください。
文字原稿は800字〜1000字以内
(テキストファイルもしくはメールにお書き添えください)
添付お写真はjpegファイルで400kb程度。

●応募作品はおひとり1点でお願いいたします。

●氏名、性別、年齢、住所、電話番号を明記ください。
掲載時にペンネームご希望の方はお書き添えください。

●弊社HPでの掲載に関し、ご了解いただける方をお待ちしております。
掲載させていただいた方には、Famous弦セット(4種)をプレゼント。

●送付先アドレス:famous@kiwaya.com
件名:ウクレレとの出会いエッセイ(エッセイの題名はお任せします)

「ウクレレのある心豊かな暮らしを提案します」──これがKIWAYAの社命です。